歴史を学ぶ意味

こんにちは。

 

前回の数学の話に引き続き、今回は歴史について考えていきます。

歴史といっても、日本史、世界史とあり、さらに地域や時代で細分化されますが、ここでは、細かい部分にはあまり立ち入らず、大まかにとらえて進めさせていただきます。

 

歴史も数学と同じくらいかそれ以上に必要ないと言われる科目かもしれません。

過去のことを学んで何になるのか?

過去だってどうでもいいじゃないか。

過去のことを知らなくても、生きていけるじゃないか。

私は未来を見てるので、過去は振り返りません

などなど。

 

興味のある人にはとても面白い科目かもしれない一方で、学ぶ意味を見出せず、苦痛でしかない人もいるかもしれません。

 

なぜ、歴史を学ぶのでしょうか?

過ぎた過去、しかも遠い過去の話を振り返る必要があるのでしょうか?

 

歴史を学ぶ意味として、自分のルーツを知るべきだからというようなことをおっしゃる方もいます。

しかし、私は必ずしも賛同できません。

まず、自分のルーツを知るべきというのが自明ではない。

なぜ、知るべきと言えるのかよくわからない。

 

私自身は、先祖がこんな方だったなどのルーツといえるものに興味はありますが、だからと言って、ルーツを知らなくてはいけないとは思いません。

自分を知る手がかりになるかもしれませんが、自分を枠に閉じ込めることにもなりかねません。

 

私は歴史を学ぶ意味は未来に活かすためだと考えています。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉をご存知の方もいらっしゃるかもしれません。プロイセンビスマルクの言葉とされています。

細かい説明のようなものは行いませんが、一人の経験というものは量的な意味だけでなく、特定の環境の人間でしかないというような質的な意味でも非常に限定的です。

しかも、経験は自分が見た主観的な視点しかなく、非常に危ういものです。

 

歴史というのは、多くの先人の行いが積み重なっており、さらに、様々な歴史家の検証を経ています。

歴史が事実の積み重ねだとは言いませんが、歴史に学ぶことにはやはり意義があります。

 

また、「歴史は繰り返す」という言葉もあります。

全く同じ事象ではないにしても、過去の歴史に学べることは非常に多いでしょう。

例えば、関ヶ原の戦いが行われたのは、岐阜県関ヶ原ですが、古代の壬申の乱関ヶ原で行われたと言われています。

 

関ヶ原の戦いの東軍の経路と壬申の乱大海人皇子軍の経路、関ヶ原の戦いの西軍の経路と壬申の乱大友皇子軍の経路は一致しているわけではないので、必ずしも一致はしていないですが、日本で大会戦が行える場所などそう多くはないですし、不破の関など要衝が近くにある場所という事情もありますから、偶然の一致でもないのでしょう。

 

おそらく、関ヶ原の戦いのとき、壬申の乱のことを意識していた人間もいるのではないでしょうか。

もし、意識した人間がいれば、決戦の地は関ケ原と予測できた人もいたかもしれません。

そうであれば、そこから逆算した準備ができるはずです。

 

実際にそういう人がいたのかはわかりませんが、歴史に学び、未来に備えられている人間と、歴史を学ばず、気づいたら関ヶ原にいた人間ではどちらの方が準備ができるでしょうか。

 

少し昔の話をしすぎたかもしれませんが、最近の状況でも歴史に学べることは少なくないと思います。

 

例えば、最近の国際情勢を見て、第二次世界大戦直前の状況と似ていると主張する論者もいます。

その説の適否には踏み込みませんが、その説を鵜呑みにするのでもなく、また無視するのでもないという姿勢は必要でしょう。

そのためには、自ら第二次世界大戦に至った歴史を学び、もっといえば、さらに、その前の状況や各国がそれぞれの立場を持つに至った歴史を学び、そして現在の状況と比較しながら、現状を分析し、自分なりに検討することが求められます。

 

歴史を学ぶか否かは、個人規模の人生は勿論、国家を世界を左右するほどの大きな違いをもたらしうると私は思っています。

だから、私は歴史を学びたいと思います。

 

ただ、歴史を学ぶということは、実は非常に難しい。

なぜなら、歴史は事実の積み重ねではなく、解釈の積み重ねだからです。

歴史はある人にとっての「真実」の積み重ねではあるかもしれませんが、「事実」の積み重ねだとは限りません。

 

この話に入るとまた長くなりそうですので、今回は一旦切り上げます。

また、どこかの機会にこの続きは書きましょう。