数学を学ぶ意味

こんにちは。

 

前回は勉強全体の話でしたが、今度は各教科について私が思っていることを書いてみたいと思います。

今回は数学です。

 ここでいう数学とは、算数というような基礎計算ではなく、学問と言えるような「数学」の方向で話したいと思います。

 

勉強なんて必要ないという方が、よく槍玉にあげられるのが数学かもしれません。

社会に出て、面積なんて求めない、微積なんて使わないなどなど。

たしかに知識としては使わない方も多いのかもしれません。

私も大学に入学してからは、数学の知識を使う機会はかなり減りました。

 

私は文系のため、学問における数学の重要性というのはあまり理解できていないと思います。

例えば世の中の物理法則を数学で表せるとか言われてもよくわかりません。

ですので、学問的なところに直接かかわる点はスルーさせていただきます。

 

では、今後も数学を駆使することがなさそうな、私のような文系の人間が数学を学ぶ意味はあるのでしょうか?

私はあると感じています。

 

なぜなら、論理的思考力を身につけるのに最適な学問だと感じるからです。

数学は証明などで顕著ですが、証明でなくても、論理的な回答が要求されると思います。

結論はあっているのに、説明不足で点を引かれたり、逆に結論は間違っていても、部分点をもらったりということがあります。

数学はそれだけ、結論を出す過程を大事にしています。

 

数学で必要とされるような、緻密な思考ができるということは、数学をやらなくても、非常に大事だと私は思います。

例えば何か企画を出すときに、なんとなく上手くいくと思いますでは、話にならないでしょう。

この企画の意義、効果などを説明するとき、論理的に説明できるということは大切だと思います。

 

私は社会人でないので、社会に出て役立つか否かは実際にはわかりませんが、法学を勉強するにあたり、私が勉強していて良かったと思った科目は数学です。

(次が歴史、国語…という順番です。)

 

なぜ、数学の勉強が大事だと感じたのか。

法律は想像がつくかもしれませんが、かなり緻密な論理によって成り立ちます。

例として刑法で正当防衛か過剰防衛かという境界の話を、実際の事例を基に簡単にします。

 

集合住宅に住むAさんが隣人Bさんを2階の廊下で鉄パイプを振り回して追い回したのですが、Aさんが階段の近くで勢い余って、階段の手すりに宙吊りになってしまい、追いかけられていたBさんが、宙吊りになっているAさんを下に突き落としたという事件です。

最高裁の判断としては、これは過剰防衛であるという判断になりました。

 

しかし、これは実は議論が分かれる判断で、実は批判も多い判例でもあります。

細かい話には立ち入りませんが、過剰防衛と判断する基準について、議論があります。 

正当防衛の要件(これを満たせば正当防衛になるという条件のようなもの)として、必要性、相当性というようなものが言われているのですが、AさんがBさんを突き落とす行為が相当性を満たすかというようなことが問題になります。

 

最高裁の判断としては、階段の手すりに宙吊りになっている時点で、すぐに復活する見込みがなく、Aさんは逃げるべきであった、鉄パイプで襲われる危険性に比べ、突き落とす行為は過剰であると判断しています。

 

しかし、この判断中のすぐに復活する見込みがない、逃げ切れるという判断の根拠が薄い(この事例でAさんは持病があり、Bさんと比べて体力的に劣っていた)などの批判もあり、もう少し明確な基準が必要という話があります。

 

その基準をどのように定立するのか、その基準に適合してるかをどのように判断するかなどかなり綿密な議論が必要になります。

このような基準をどう設定するかにおいて、どこで区別するべきかを考える必要があり、この区別するところを限界事例などといいますが、限界事例をどう設定するかを考えるにはかなり丁寧な議論が必要です。

 

素手で殴ってくる相手を近場の石で殴って殺してしまったら過剰防衛に思えますが、これが逃げ場がなく、相手の方が力が強く、軽い反撃では却って逆上させてしまう恐れがあるような事例だとすると、それでも過剰防衛と言えるかは微妙です。

 

どう基準を設けるかは、感覚だけで決められるものではなく、綿密な論理展開が求められます。

だからこそ、私は法律を学ぶのであれば、数学の勉強に取り組むべきだと思うのです。

もちろん、数学を学ばなくても論理的思考力を身につけることは可能でしょう。

しかし、身の回りにあって、確実に論理的思考力や議論の展開の仕方を学べるのは数学だと思っています。

 

その点で、私は文系ではありますが、二次試験で数学がある大学を受験していて良かったなと感じますし、受験勉強で一番役に立ったのは数学の問題に立ち向かった経験だと思っています。

 

こういうことを言ってるとスピード感が足りない、頭が固いと言われるかもしれません。

しかし、論理的に物事を見れるということは、チームで動く上ではとても重要なことだと思います。

 

ひとりでやるなら、ひらめきが当たる人でも問題ないですが、チームで動くときには、思考の過程がわからないと周りは言われたことをやるしかなく、効率は上がりませんし、その人が万が一抜けたら終わりです。

 

論理的であることは、必ずしも頭が固いこととは結び付きません。

頭が固くなりがちなのは弱点かもしれませんが、頭が固い原因を勉強に一生懸命取り組んできたことに求めるのは、少しずれている、短絡的だと思います。

 

勉強だけ、数学だけできればいいわけではありませんが、数学には、あらゆる学問や社会で成果を上げることに繋がる大事な要素が隠されていると私は感じています。