上杉謙信

上杉謙信

 

私の出身である越後(新潟)の英雄といえば、やはりこの方でしょう。

諸豪族が乱立し、バラバラだった越後をまとめ、戦えば連戦連勝。

 

武田信玄と戦った川中島の戦いは特に有名ですが、その他にも、関東北条氏などとも争い、かなり恐れられたそうです。

 

人物的にも、かなり特徴がある人だったようです。

義を大事にし、信州、関東などの武将から頼られては出兵し、武田氏、北条氏などと戦い、戦に勝ってもとった領土を自分のものにするのではなく、頼ってきた人たちのために取り戻してあげたそうです。

 

終生、女性を近づけず、子も残しませんでした。

現代から見ても特徴的ですが、子を残すことが非常に重要だった当時から見れば、以上と言ってもよいでしょう。

また、酒を非常に好んだそうです。

 

世間的には、どちらかというと好意的な印象を持たれる人物のような気もしますが、私は、実はこの地元の英雄がさほど好きではありません。

(悪い人とか言っているのではなく、個人的な感想です。)

 

たしかに、自分の信じる正義のために、自分をも犠牲にし、私利私欲でなく、戦った好人物ではあるかもしれません。

 

しかし、彼は身内、部下から見れば、かなり迷惑な人物であったのではないかと思うのです。

 

まず、戦争というのは、莫大な費用がかかります。

越後には青苧という特産品があるなど、かなり豊かな地域であったため、莫大な戦費を賄えましたが、それでも繰り返される戦争がなければ、人々はもっと、楽に生活できたかもしれませんし、国力ももっと充実していたでしょう。

 

また、越後軍は傭兵軍団ではなく、農民を徴兵した軍ですから、それだけでも戦争の負担は非常に大きかったはずです。

戦争に駆り出される世代は、当然一番体力の充実している年齢層でしょうから、戦死したり、重傷を負えば、一家の生産能力に大きな影響を及ぼします。

 

そう考えると、ある意味戦争大好きな殿様である謙信公は名君とは言い難いと感じてしまいます。

 

また、戦争に勝っても、自分たちの領土とすることは稀なわけですから、戦争は実質タダ働きのようなものです。

とんでもないブラック体質と言えるでしょう。

 

さらに領土を取り返したもらった豪族にとっても、戦争に勝ったら、さっさと越後に帰るのですから、その後で、武田氏、北条氏が来るのは当たり前で、ありがたいけど、大してありがたくない。

戦っても負けるのはわかりきっているから、また逃げるか、相手に服属するしかない。

 

謙信公は、相手に寝返ったらブチギレるわけですが、そんなこと言われても小領主にとっては、守ってくれない謙信公が悪いのであって、ある意味大国の横暴です。

それなら、自分の勢力拡大という私欲のために戦っている連中の方がまだましかもしれません。

 

謙信公も外交政策などは行ってはいるものの、政治工作を行うということが多いわけではなく、何か起こると戦争に頼ると言えます。

その結果多数の裏切り者を出すわけでもありますが、戦略などあったものではなく、仮に室町幕府を中心とする旧秩序の再興を本気で目指していたとしても、そこに実はなく、空論を振りかざしていただけにすぎないと感じます。

 

自分の理想を他人に押し付け、それにそぐわない人間の考えを理解しようとしない。

戦争だけなら紛れもない天才であり、カリスマも持ち合わせたたぐいまれなる人物であったことは、その通りだと感じますが、一方で、あり得ないほどの暴君でもあったと思います。

 

上杉謙信は、他者のために奮闘した人物のように、言われますが、私は、自己の理想という利己のために、他人の犠牲も省みない人物だと感じます。

 

新潟で上杉謙信を嫌う人はあまり聞きませんし、だとすれば、意外と上杉謙信の統治というのは、農民などにとっても悪いものではなかったのかもしれません。

 

それでも、私は上杉謙信の義の中に、自分を突き通す横暴を感じ、それでも正義と信じるところに虚を感じてしまうのです。