マウンティング

こんにちは。

 

ある集まりで京大の院の方が、学歴マウントを取り続けていていたので、マウンティングについて書くことにします。

 

私はマウンティングについて、いいとか、悪いとか言いたいのではありません。

まあ、あまり気持ちの良いものではないとは思いますが、自分だって気づかないうちにしてしまっていることはあると思いますし、自分の価値を再確認するために有用だという面もあるかもしれません。

 

私たちは自分の価値を認識せずに生きていくことは難しいと思います。

自分の価値を見出せなければ、人は生きていく意味を見出せなくなっていきます。

これはかなり大変なことでしょう。

引きこもり、自殺、様々な犯罪など。

 

やや極論ですが、自分の価値を見出せなくなることはこれらを誘発しかねないと思います。

もともと「何か問題のある人」が引きこもりになったり、自殺したり、鬱になったり、罪を犯したり…するわけではないと思います。

私も含めた、どこにでもいるような「普通の人」がふと陥る身近なものだと思います。

 

話が少しそれましたが、自分の価値を認識することは非常に重要なことでしょう。

 

しかし、それは簡単なことではありません。

特に何も成していない「普通の人」にとって、なんらかの価値を見出すのは非常に困難です。

 

正直、私がいなくても社会的にはなんの問題はない。

私がなにか社会的な価値を提供できているわけではありません。

そう考えると「普通の人」にとって、絶対的な意味で自分の価値を見出すことは困難です。

 

また、周りの人とのかかわりという意味においても、私がいなくなって、悲しんでくれる人はいるかもしれませんが、だからと言って、私がいなくて困る人というのは、ほとんどいないでしょう。

 

もしかしたら、私だけかもしれませんが、自分の価値を認識するのは難しいことかもしれません。

 

そういう人にとって、他者との比較によって、自分の方が優れている感じ、そのようにして、自分の価値を認識することは必要なことなのかもしれません。

 

つまり、マウンティングは特別な「嫌味な人」がするものではなく、自分の価値を見出せない「普通の人」が自分を守るためにする「普通の行い」だと私は思います。

ですから、マウンティングする人を、殊更に敬遠する気には私はなれません。

むしろ、この人も「普通の人」なんだなと親しみを感じます。

 

とはいえ、不快に思われる方も多いでしょうから、自分はなるべくマウンティングしないように気をつけなくてはいけない。

そのためには、どうすればいいのでしょうか?

 

今までの話を踏まえると、マウンティングしなくても、自分の価値を認識できるようになればいいということになりそうです。

つまり、自分を好きになる。

 

自分を好き、ナルシストというといい印象がないような気がしますが、本当の意味で自分のことが好きというなら、非常によいことだと、私は思っています。

 

自分を好きな人こそ、マウンティングしてくるように思われるかもしれませんが、私はむしろ、逆ではないかと思うのです。

自分を好きになれないからこそ、マウンティングすることで、なんとか自己を保とうとする。

 

ですから、自分がマウンティングをしてしまい、周りに不快感を与えることを避けたいなら、自分の良いところを見つけ、自分の価値を認識する。

周りの人がマウンティングしてくるのが気になるなら、この人も辛いんだなと思えばいいと思いますが、我慢できないこともあるでしょう。

 

やめてほしければ、とにかくその人の良いところを見つけてみませんか?

そして、それを伝えてみませんか?

 

その人が、自分の良さを認識できれば、マウンティングなんてしなくてもよくなるのではないかと思うのです。

そして、その人の良さを見つけられたとしたら、それはあなたの素晴らしい能力です。

 

あなた自身もその人と仲良くなれるかもしれないし、自分のいいところも見つけられる。

 

私はそういうつもりで生きていきたいなと思います。